傾注
「自分が何をやりたいか」ということは、自分がいちばんよくわかっている……というわけでは必ずしもないということを学生にわかってもらうことは難しい。
「自分が何をやりたいか」というのは、それほど簡単な問題ではない(というかそもそも「何をやりたいか」という欲求は――スーザン・ソンタグがいうように――日々の生活の中で作られていくものだし)。「自分が何をやりたいか」について紋切り型の説明で安心する学生、あるいは「自分が何をやりたいか」について自分を欺いている学生もいるということを年々痛感する。
法学部の一年生とか二年生に「大学で何をやりたいの?」と尋ねると、「法律を勉強したい」とか「資格をとりたい」という学生は結構多い。同じ学生に一年後とか二年後に同じことを尋ねると、大体同じ答えが返ってくる。しかし、性格の悪いあたくしはついつい尋ねてしまう。「それで……勉強したいんだから、勉強したんだよね? 資格をとりたいんだから、当然何か資格を既にとったか、これからとる準備をしているはずだよね?」
ほとんどの場合、「してません。勉強の仕方がわからないから」とか「試験も受けてませんし、準備もしてません。どんな資格があるか、わからないから」と学生は答える。勉強したいのであれば、勉強しているはずだし、資格をとりたいなら資格試験を受けているか、少なくとも準備をしているはずなのだが、いつの間にか「大学のせんせいは勉強の仕方を教えてくれない」とか「どういう資格があるか、大学で教えてくれない」という話になってしまっている。
何というか、学生がしばしば口にする「法律を勉強したい」とか「公務員になりたい」とか「資格をとりたい」といった発言の真意は、「あまり深く考えたくないけれど、考えているふりだけはしたい」ということである場合がほとんどではないのかとさえ思う。しかも、一番こうした発言によって損をしているのは、こういうことを口にすることで、自分が何をやりたいのかについての思考を停止している学生本人なんだろうなと。いやまあ、別に「わからない」ということであれば、特にどうってことはないのだが、本気でそう思ってもいないくせに「……を勉強したい」と口にすることに酔っている香具師とかを見ると、大丈夫なんだろうかと。
勉強したいなら、勉強すればいいだけだし、勉強してるはず。資格をとりたいなら、資格試験を受ければいいわけだし、その準備を始めているはず。何もしてないなら、それは結局、自分の志がその程度のものだということを自分で証明しているだけだと思うのだが……。
「本好きなんです」とかいうくせに本読まない香具師とか、「映画好きなんです」とかいうくせに映画観ない香具師とかに、「それって「「本好きなんです」と口にする自分」とか「「映画好きなんです」と口にする自分」が好きなだけぢゃないの?」とか面と向かっていうのは、教員としてはまずいんでしょうか。「それって、すげー痛くない?」とか。

