Sunday, January 01, 2017

Richard Tuck, The Sleeping Sovereign The Invention of Modern Democracy, 2016.

Richard Tuck, The Sleeping Sovereign The Invention of Modern Democracy, Cambridge University Press, 2016.
http://admin.cambridge.org/hu/academic/subjects/history/history-ideas-and-intellectual-history/sleeping-sovereign-invention-modern-democracy
http://amzn.to/2irTeSA

Table of Contents
Preface
1. Jean Bodin
2. Grotius, Hobbes and Pufendorf
3. The eighteenth century
4. America
Conclusion
Index.

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Monday, January 28, 2013

『30年代の危機と哲学』

これも某所のやつをサルベージ。

1999 平凡社 E. フッサール, M. ホルクハイマー, M. ハイデッガー, Edmund Husserl, Max Horkheimer, Martin Heidegger, 清水 多吉, 手川 誠士郎

30年代のドイツにおける思想史的に極めて重要な文章の翻訳を集め、解説を付したもの。ハンディでありながら、その毒は相当強い。

まず一方には、1935年5月のフッサールの講演「ヨーロッパ的人間性の危機と哲学」がある。フッサールは近代においてヨーロッパが陥った危機を、ヨーロッパ的な理性が、その本来の道を踏み外し、「外面的」な「自然主義」と「客観主義」へと堕落したことにあると論じ、そこから発生した非本来的な「合理主義」と非合理主義の対立を超えて、本来の――古き善き――合理主義に回帰することこそが、「危機」を克服する唯一の方途であることを高らかにうたいあげる。

「ヨーロッパ的人間存在の危機には、二つの出口があるだけです。つまり、本来の合理的生の意味に背いたヨーロッパの没落、精神に敵対する野蛮さへの転落か、それとも、自然主義を終局的に乗り越えんとする理性のヒロイズムを通した、哲学の精神によるヨーロッパの再生か。……もしわれわれが、「善きヨーロッパ人」として」、無限に続く闘いにも挫けぬ勇気を持ち、諸々の危機のなかでも最も重大なこの危機に立ち向かうならば、人間を絶滅させる不信という炎のなかから、西欧の人間の氏名への絶望というくすぶり続ける火のなかから、……新しい生の内面性と精神性とをもったフェニックスが、遠大な人類の未来の保証として、立ち現れてくるでしょう」(94-95頁)。

どれほどひとびとが合理主義に愛想を尽かし、非合理な野蛮さに魅せられようとも、「理性のヒロイズム」はわれわれを古き善き合理主義へと引き戻し、ヨーロッパは甦るであろう。「何故なら、精神のみが不滅なのですから」とフッサールはいう。

だが、そのようなフッサールの絶叫を踏みつぶすかのごとく、ハイデッガー総長は1933年5月の講演「ドイツ的大学の自己主張」において、アイスキュロスの言葉「技術というのは、必然のさだめに比すれば、はるかに力が弱いものだ」を次のようにパラフレーズする。

「〈知はしかし必然よりはるかに無力である。〉そのいわんとするところは、――事物についてのいずれの知も、まずは命運の強大さにゆだねられているものであって、この強大さのまえでは言葉を失ってしまうということである」(106頁)。

敢えて「理性のヒロイズム」に賭けようとするフッサールに対し、ハイデッガーは強大な「必然のさだめ」の側に身を委ねる。この両者の立ち位置をどう解すればいいのか――本書を読む者は、この厄介な問いを媒介として、「危機」論争へと召還され、当事者の一人として内省を強いられることとなろう。

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Sunday, August 19, 2012

田崎英明『無能な者たちの共同体』(未来社、2007年)

昔作った抜粋が出てきたのでご紹介。諸々のことで忙しかった時期に慌てて作ったメモらしく、頁は記されておりませんでした。御本の方はちゃんと購入して手元にあるはずなので、いずれ確認します。

田崎さんのこの御本では「有能な者たちの共同体」である「社会」に、「無能な者たちの共同体」である「政治」が対置されるわけですが(もちろんアーレントを「使って」ます)、この「無能な者たちの共同体」を大胆に掘り下げているところがこの本の魅力です。まずは「有能な者たちの……社会」についての分析。

この社会の中で、人は誰も一定のポジションを占めて生きている。日本人、男、教師、異性愛者、あるいは、移民、失業者、共産主義者、等々。私たちは、ただ単に、あるポジションを占めているばかりではない。たいていの場合、自ら執着しているのであれ、強いられてであれ、そのポジションを――一定の期間――占めつづける。個人は、ポジションへと繋縛される。それは、何がしかの命令に従属することを意味している。その命令に従いうるかぎりで、そのポジションを維持しつづけられる。それに従いえなくなったとき、人はそのポジションを失うだろう。そして、そのポジションには別の人間がやってくる。

社会はこのようにして再生産される。社会は、個人に対して、あるポジションを占めるように、自分の命令に従うようにと呼びかける。どの個人も、一定の期間しか一つのポジションを占めることはできない。どれほど長くても、その誕生と死によってその期間は区切られる。誰か特定の個人によって永遠に占有されるポジションというものはない。

社会とは、このようなポジションの集合体ないしネットワークであるといえるだろう。ポジションは疲れをしらず、それどころか誕生も死もしらない。そのポジションを占める個人の交替、生と死を超えて、ポジションは存続し続ける。このような疲れをしらぬ存在、消え去ることのない存在と自らを同一化させること、これが今日の社会に生きる私たちに課せられた定言命法ではないだろうか。

……社会的な生は、命令という言語行為によって他のポジションと結ばれたポジションの生にほかならない。あるポジションを占めるということは、他のポジションに対して命令せよという命令に従属することである。命令への命令抜きのポジションなど存在しない。たとえば、教師というポジションを占めるということは、「私を教師として受け入れよ」と他のポジション、つまり、学生やその親たちに受け入れさせることを含んでいる。もちろん、自分のポジションが含意している命令のすべてに自覚的であることはできないし、それどころか、自分が占めているポジションがいったい何なのかもふつうは、まずわからない。
どうすればそのような「社会」から逃れることができるのか。いわゆる「コモディティ化」をどうすれば拒むことができるのか。ポジションを放棄(喪失)することでしか、ひとは「社会」から逃れられない。
私たちは、この社会で一定のポジションを占めるかぎりで、つまり、何者か what, something であるかぎりで、他人と交換可能なのである。そうであるとするなら、私たちがもっとも個別的であるのは、むしろ、何者でもないときなのではないだろうか。私たちが何者でもなくなったとき、そのとき、私たちは誰とも交換できない生を生きている。

私たちがポジションを失うのはどのようなときだろうか。ポジションの命令に従えなくなるのは、それは、たとえば、疲れをしらないポジションについていけなくなるとき、疲労の極みにおいてである。疲れ果て、眠りに落ちていくとき、私たちは自分のポジションからずり落ちそうになる。定められた就寝時刻に従い、あてがわれた――ふかふかの、あるいは、こちこちの――ベッドでの眠りなら、それはむしろ、疲労する身体の否定であり、労働者としての明日の労働のためポジションが命じる命令に従っているともいえようが、作業の途中で不意に襲ってくる眠気は、個人とそのポジションのあいだの裂け目を示している。ポジションと区別される個人が初めてそのとき顔を覗かせるのである。
「コモディティ」として「社会」に組み込まれる「自我」と、それを拒む「自己」。両者を区別することで、田崎さんは「無能な者たちの共同体」の始まりについて次のように述べています。
自我ないし「私」というのは、このようなポジションを引き受ける、遂行性のエージェンシーなのだ。それに対して、自己というのは、遂行性から脱落していく存在、いや、むしろ、遂行性からの脱落そのものだというべきだろう。遂行性からの脱落そのもの、それは、享受であり、社会的な自我とは別の生、つまり、自己なのである。そして、それが疲労なのだ。

社会が自我によって構成されるのだとしたら、共同体は自己によって構成される、といっていいのではないか。そうだとすると、社会が命令の伝達によって形成されているのに対して、共同体を形成するものは何なのだろうか。自己と自己とは何をコミュニケートし、何を共有しているというのか。おそらく、共同体においては、人々が自我から自己へと落ちていくことが共有されるのである。何もできないということが、何者でもないということが、伝達されていく。

したがって、共同体の始まる場所は、社会から誰かが脱落していくところである。たとえば、個人があらゆるポジションから脱落していく、「死にゆくこと」がそうである。死にゆく者を前にして、人々には何ができるというのだろう。もちろん、それぞれのポジションで最善を尽くす人々がいる。医者、友人、家族、それぞれのポジションから、できること、しなければならないことを可能なかぎり行おうとするだろう。しかし、死にゆくことそのものに対しては、誰も、何もできない。社会は、死にゆく者に対して、さらには、すでに死んでしまった者に対してさえ、何ごとかを為すように、私たち、生き残る者に命じる。だが、私たちは、最終的には、何もできないのだ。死にゆく者から死を取り除いてやることなどできないし、また、すでに死んでしまった者に対しても、社会的に取り決められた儀式によって本当にその怒りや恨みを鎮めてやれるかどうかもわからない。

私たちは、そのとき、最終的に社会の命令に従いえなくなる。何かをせよ、といわれても、それは不可能なのだから。まさに、そこから共同体が始まる。
そして、この「共同体」をめぐる決定的に重要な一節。
社会は互いに命じ合い、貢献し合う者たちによって作られる。互いの貢献を持ちより、交換することによって社会は維持される。

いま、私たちの社会は、確実に、一定数の人間を見捨てつつある。私たちの社会は、それへの帰属をますます交換の能力へと絞り込んでいるように思われる。つまり、その成員が互いに交換しつづけられるかぎりにおいて、交換せよという命令に従いうるかぎりにおいて、社会への帰属が認められる。交換しつづけられなくなったら、死へと打ち捨てられるのである。

それにしても、死にゆくことは、どこで起こるのか。それは場所を必要とする。死にゆく者は、誰かに受け入れられ、看取られなければならない。そのための場所が必要だ。その場所は誰が取っておくのだろう。誰が死にゆく者を迎えいれるのだろう。死にゆく者が身を横たえるための地面、暖かさ、渇きを癒す水、呼吸のための空気。それらの場所を死にゆく者のために譲る者がいなければならない。死にゆく者がその中に身を沈めるためのエレメントであり、そこで、死にゆくことが自己自身を享受する。床をしつらえ、火を焚き、水を汲み、風を入れる。このように誰かによって場所が用意されることで、誰か他人に身を委ねることで、辛うじて死にゆくことはこの世に現れる。人が生まれるときと同様、死にゆくときも、無力であり、誰かが傍らにいなければならない。

おそらく、私たちの社会が死者から奪いつつあるものは、このような死にゆくこと、自己の享受としての死である。死者が死にゆくために必要なエレメントを奪ってしまったのである。ある死者は熱を奪われ、寒さの中に放置され、別の死者は風と水を奪われ、あるいは、横たわるための地面を奪われる。しかし、それでも死者たちは自らの死を死なねばならず、死にゆくことを享受するためのエレメントを奪われ、それを差し出してくれる他者を奪われたとしても、どれほど僅かであっても、それを自らのものとする。つまり、自己となる。自己であることとは、今日、抵抗の核心を構成するものなのである。

共同体とは、したがって、抵抗の伝達、ほとんどその感染というべきものである。私たちは、社会の周縁にいる者たちを見捨てた廉で告発されている。いいかえるならば、共同体に参加しなかったという罪科で。私たちは社会の一員であろうとして、つまり、有能な、遂行的な自我としての同一性に執着して、自らの疲労を、老化を、死にゆくことを否認する。自己の享受を否定するのである。
(田崎英明『無能な者たちの共同体』未来社、2007年)
どうも心理的に不安定な時期に作ったメモのようなので、もう少し余裕ができたらちゃんと細かく吟味したいと思います。

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Friday, December 11, 2009

デタッチメントですのっ

社会思想史学会「政治思想と文学」セッションのペーパーを、学内論文集『東アジアの「もの」と「秩序」』用に改稿。提出したファイルの誤字脱字を直したものがこれです。

「北村透谷からジョージ・ケイティブへ」という電波論文になってしまったのですが、誰にも読んでもらわないまま提出したので非常に不安が……。

というわけで、校正前にコメントなど頂ければ幸いに存じます。>誰か

論文要旨は……「べ、別にアーレントなんて好きじゃないんだからねっ!」という感じでしょうか。

今から思えば、崇高論文(これ)も「べ、別にハーバーマスが好きってわけじゃないんだからねっ!」という論文だったなあと。

というわけで、この手のものを書きためて『ツンデレ政治哲学』という単著にまとめようかと。次はバーリンかなあ。

反省点、というかこの論文が論文として駄目なところ。

  • 導入が滅茶苦茶。基本的にケイティブの民主的個人性についての政治思想研究なのだから、デモクラシーと個人主義の関係についての研究史(まあ現代政治理論における individualisation とか reflexive modernity とか)とケイティブについての先行研究を整理しながら、ケイティブの民主的個人性論が現在、政治学研究の業界内でどう問題になっているか、それをいま問い直す必然性がどこにあるのか示す努力がほとんど皆無であるということ。
  • おそらく全体を貫くリサーチ・クエスチョンは〈エマーソン的デタッチメントの政治的ポテンシャルとは何か?〉ということなのだろうが、透谷を使って非常に不十分に提示し、ケイティブを使ってぐるぐる空中旋回するだけで、エマーソン的なデタッチメントについてテクストに即した分析が皆無。有意なリサーチ・クエスチョンにテクストの分析によって応答するのが思想史研究の本筋だとするならば、この論文はそもそも何を分析すべきなのか、そしてその本来の対象を十分に分析しえているのかと問われても、何も答えられそうにないところ。
  • 「この字数だとこのぐらいがせいぜいなんだよっ」とか「忙しかったんだよっ」とか「ケイティブなんて誰も知らないから、とりあえず紹介だけでいいんだよっ」とか「でも問題の所在はちゃんと示したつもりだよっ」といった言い訳が行間からにじみ出ているところ。リサーチ・クエスチョンを考え抜いて、苦しみながらもなんとか自分なりの結論を導き出すという努力があまりにも不十分。抜き書きだけの紹介エッセイ。たぶんこれを書いたひとは、アカデミック・エッセイばかり読んで、それで勉強したつもりになっているのだろうな。

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Friday, December 26, 2008

なだいなだ『TN君の伝記』

今年最も記憶に残った一冊(amazon)。実をいえば、初読は中学校二年生のとき。この春に、どういうわけか急に読みたくなって探したら、「福音館文庫」の一冊としてまだ購入できるというので注文。すぐに読み終わったとはいうものの、初読で挫折した(たしかルソーの思想を説明した第四章の終わり辺りで放り出したはず)ことを考えると、約30年かかってこの一冊を読み終えたことになる。

中二の少年Dは、他の科目はことごとく壊滅状態の中、たまたま小学校のときに少しばかり勉強していた日本史だけは得意で、授業中も「ああ、その話なら知ってるよ」と根拠のない自信(後に高校に進学して、その自信は見事に砕かれる)を支えに、ひたすら居眠りをする毎日であった。しかし、ある日、せんせいに「ええと、「東洋のルソー」って呼ばれた日本人の名前、しってるか」という問題をふられた際、Dは答えることができなかった。「ええと、「東洋の神秘」はグレート・カブキ、「一人民族大移動」はアンドレ・ザ・ジャイアントで、いやアンドレは日本人ではないし……」とDが頭を抱えている間に、「中江兆民です」と答えたのは、ちょっと気になっていた同級生の女の子であった。ショーック!(※)

(※)これが当時のDにとって、なぜショックだったのか、どれほど大きな敗北感のようなものをもたらしたのか……それはかつて中二男子であったことのないひとには、永久にわからないであろう。

まずは中江兆民について何かを知らなければならない。そう決意した中二男子Dは、教員だった父親の本棚にあった木下順二『古典を訳す』(福音館書店、1978)の挟み込み広告で『TN君の伝記』という子供向けの中江兆民伝があることを知り、「とーちゃん、これが読みたいから、今度買ってきて」と父親に買ってきてもらい、当時通っていた○×中学校で一番の中江兆民通になろうと読み始めた。しかし、「小学校上級以上」とある児童書であるにもかかわらず、中二男子Dにとってその本は決して易しい本ではなく、ルソーの『社会契約論』についての抽象的な話が出てきた辺りでギブアップ。せっかく買ってきてもらったこの本そのものも、どこかへやってしまった。

その後、中江兆民のことも、その女の子のこともすっかり忘れてしまった大学四回生の頃、ゼミの指導教員だった小野せんせいから「夏の集中講義で米原せんせいが中江兆民の話をしてくれることになっている。まあ、いま中江兆民をやるというのは、要するに、丸山眞男の福沢諭吉研究にどう対抗するかという、きわめて現代的な関心が背景にある。あ、でも君は大学院入試があるし、やっぱりやめとく?」というようなことをきいて、ああ中江兆民なんてひとがいたなあ、そういえばあの本はどうしたっけとこの本のことを想い出しつつも、わざわざ探して読むなどという気にはなれなかった。

そして歳月は過ぎ、四十路男子Dあるいはアラフォー男子Dは、ようやくこの本を読み終えた。中二男子の頃に比べれば、少しは進歩したということになる。

読み返してみれば、一頁も無駄のない、実に刺激的な活劇だった。結末では、幸徳秋水が『二十世紀の怪物・帝国主義』で提起した問題に対し、兆民が『続一年有半』でどのような解答を与えたかについての話が語られていて、それがオチになっている。印象に残ったのは、その「帝国主義」問題を鮮明に示すためにおかれた、国会議員をやめてからの兆民の迷走についての記述。ちょっと長いけれど抜粋。

〔幸徳秋水には〕一年、TN君〔兆民〕に会わなかったあいだに、TN君がめっきり年をとったような感じがした。TN君は、彼を見るといった。
――お前、英語を勉強しろ。フランス語など、もうやるな。
だしぬけに、そういわれて幸徳は、TN君の顔を見つめた。TN君の背は、こころもち猫背になったようだった。
――なんでまた。
――金だ。
吐きすてるように、TN君はいった。
――金?
――そうだ。わしは連中をせめる気にはなれん。
どうやら、TN君は同志たちのことを考えているらしかった。TN君は、板垣や大隈や後藤が、政府と妥協するのは、予期していたらしい。しかし、信じていた植木枝盛までもが、板垣と行動をともにして、政府と妥協するために脱党したことがショックだった。TN君は怒った。はげしく怒った。しかし、日がたつにつれて、怒りがしずまるとともに、TN君には彼らの苦しみもわかるような気がしてきたのだ。
――いまの政党員は、もともと貧乏だし、運動そのものにも金がかかる。行きつくところは、借金で首がまわらなくなって、餓死するか自殺するかだ。死にたくなければ、節をまげ、説を売って、金をもってるやつに頭をさげるしかない。そりゃ、節義をまもって餓死するというのは美しい。しかし、だれにもかれにもそうしろというのは酷だ。しかも、みんな親も子もいる。自分一人は餓死してもいいと思っていても、家族までまきこむことはためらうだろう。だから、あの連中が、節義を重んじていない、といいきってしまうのは、かわいそうだ。わしは、そう思うようになったんだ。……

山県内閣の総辞職のあと、伊藤博文に組閣の命令が下ったが、伊藤は山県と議会のやりとりを見ていたので逃げた。そして、松方正義を首相に推した。
TN君は、そのころどうしていただろう。TN君は板垣と大隈の会見の見通しをつけると、北海道に旅立っていた。……紙問屋をひらいていたのだ。いや、TN君は、自由・改進の連合に成功したあと、もう一度、金のために同志たちをうらぎるものを出さないために、自分が実業に入って金をもうけようと思ったのだ。
彼らが頑張りとおせば、政府は解散に応じる。選挙になれば金がいる。だが、民権派の人間たちは、ながいあいだの政治活動のために、ふところに一円ものこっていない状態だ。そこで解散におびえて、また政府の圧力に屈するかもしれない。そのときに、
――心配するな。金のことはわしにまかせておけ。
といってやりたい。TN君は、そう思った。北海道の自然は大きかった。その大きさが、TN君の気を大きくした。そこには、米国の西部の新天地にように活気があり、無一文から大金持ちになることなど、たやすいことのように思われた。TN君は、そうした北海道を見て、実業の世界に踏み込んだのだ。……
TN君がちょっぴり成功したあと、それならおれもとTN君をまねしたものは、資金も多いし、やりかたもあくどかった。TN君の事業はすぐに競争に負けてしまった。そして、借金に追われはじめたころ、第二回の選挙になったのだ。
TN君は、なにもできないまま、選挙のなりゆきを見まもった。自分も、なにかをしようという気持ちはあったが、金策に追われ、借金のいいわけに追われて、なにひとつできなかった。……

TN君は紙問屋の失敗にこりなかった。そして、すぐ北海道山林組という、林業の事業をおこした。ともかく、金がほしかった。しかし、これも失敗だった。事業をおこすことで、金もうけどころか、借金ばかりがかさんでいく。本ずきのTN君の家にあった洋書も漢文の本も、借金のために売り払われた。出版した本の著作権も抵当に入れられ、印税は自分のものにならない。一つの事業の失敗のうめあわせをするために、すこしずつ、すこしずつ、TN君はあやしげな、利権のからんだ、よごれた仕事へとはまりこんでいった。幸徳は、TN君にすすめられたように英語を勉強していて、よくTN君の家に行ったが、TN君は、北海道、高崎、京都と、しょっちゅうかけまわっていて、あまり会うことができなかった。TN君の家は、もともと貧乏であったが、そのころはますますひどくなった。米を買う金がなく、豆腐のおからばかり食べていることもある。だが、TN君は平然としていた。
――ま、いまに、十万二十万の金が入るから、お前たちをヨーロッパ旅行につれてってやるからな。そのときになったら、もう一度政治をやる。新聞もおこす。それまでのしんぼうだ。
おからを食べながら、無口な奥さんがなにもきこうとはしないのに、TN君は、そう夢のようなはなしをするのであった。奥さんが、このTN君のおとぎばなしのような計画をどう思ったかしれない。そして、ぼくたちも、TN君が、どこまで自分のいうことを信じていたのか、わからないのである。……

TN君は、たとえ出発点がどうだったにせよ、金を追うなかで、自分を見失っていた。TN君は、当時の若者たちに、大きな影響をあたえていた思想家であり、文筆家であったのだが、明治二十六年ごろになると、TN君の名は新聞からも、雑誌からも、すっかり消え去っていた。ときおり新聞のゴシップ欄に、TN君の貧乏ぶりについての、みじかい記事が載せられるだけであった。……
そのTN君の姿が見失われたころ、「評論」という雑誌に、北村透谷という青年の書いた、「TN先生いずくにある」という文章がのった。
「仏学者あまたあるなかで、ルソー、ボルテールの深刻な思想を、かみくだいて日本人につたえた人は、先生のほかにない。「民約論」の訳は、先生の手になって、生きたものになった。社会は、先生を思想の代表者だと思っていたのに、いったいどこをさまよっているのか。先生は、世をすてたのか。……先生が議会をすてたのは当然かも知れぬ。自由党をすてたのも当然だろう。先生は政治家ではない。政党員たることのできる人でもない。しかし、先生は、なぜ一人の哲学者となれないのか。なぜ、このにごった社会を怒り、この小人島のさわぎを憤慨して、前のように痛烈な声をはなってくれないのか。自分は先生を知らない。しかし、先生の姿を遠くからながめて、あこがれたことがあるものだ。しかし、先生は、いまいない。ただ、半分仙人、半分商人、おくびょうにも世を避け、世をなげた一人のTNという男がいることを耳にするだけだ。TN先生よ、どこにいるのか、どこに行ったのか」
おそらく、この北村透谷の声は、彼一人のものではなかったはずである。ほかにも、多くの若者たちが、おなじ想いでいたことだろう。TN君はじっさいの政治では、とりのこされていた。しかし、TN君はよびかける相手がどこにいるか、見失うべきではなかったのだ。
TN君が、もしこの透谷の文章を読んだら、もう一度、自分の果たすべき役割を発見しなおしたかもしれない。しかし、残念なことに、TN君は読まなかった。そして、うらぎられ孤独となり、自分のなかまをうばった金にうらみをいだきながら、さまよいつづけていたのである。

後半で描かれる老いた兆民に対する北村透谷や幸徳秋水の愛のあるまなざしは、おそらくは著者のなだいなだのまなざしでもある。「子どもの館」にこの文章を連載し、1976年に「小学校上級以上」向けの児童書『TN君の伝記』にまとめたなだいなだは、読者に何を感じてもらいたかったのだろうか。不純(?)な動機でこの本を手に取った中二男子Dは通読すらできなかったし、思い返すに、おそらく通読しても理解できなかったであろう。あるいはドラマとか、漫画とかアニメにすれば、中二男子にもこの作品は届くのだろうか。

しかし、なんにしても不思議な読書の経験であった。

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Saturday, December 13, 2008

加藤周一のこと

……本を読んでわかるかわからぬかは、もちろん、つねに本の側にだけ理由があるのではありません。読者の側にもそれなりの理由のあることが多いのです。……むずかしい本を読んで、いや、そもそも本を読んでよくわかる工夫は、読者の側にもなければなりません。その読者の側の条件は、第一には言葉に関し、第二には経験に関しているといってよいでしょう。

文章による表現は、著者のなんらかの経験を、言葉の組合わせに翻訳して、人に伝えようとすることだ、といっていいと思います。これを読者の側からみれば、言葉の組合わせ、つまり文章を通じて著者の経験を知るということになります。……

読者は言葉が意味するところを知っているだけでなく、言葉が意味するものがなんなのか、多かれ少なかれ、読者自身の経験に即して知っていなければ、ほんとうに文章を理解することはできないでしょう。一方に言葉、あるいは象徴があります。他方に経験、あるいは象徴されるものがあります。その二つの要素が本を読むという行為の二つの大きな柱だといっていいでしょう。

たとえば、小林秀雄さんの『鉄斎』についての一書を読んで、よくわかる人もあり、よくわからない人もあるでしょう。むずかしいと思う人もあり、やさしいと思う人もありましょう。どうして人によってそういうわかり方の違い、むずかしさの違いが出てくるかといえば、それは、小林さんが使っている言葉の定義をどの程度まで正確に知っているかということではなくて、読者がどの程度に「鉄斎」を見ているか、つまり、読者の側での絵を見るという経験の有無、あるいはその深浅によるでしょう。これは幾何学教科書の場合とよぼど違った事情です。初等幾何学教科書がむずかしい、またはやさしいというのと、小林さんの『鉄斎』がやさしい、むずかしいというのとは、意味がかなり違っているように思われます。

「なぜこの定理から、この系が出てくるか」――それは論理の問題であり、論理の問題は言葉で言い表すことができます。

「なぜこの第一印象のあとに、この感想が出てくるか」――それは論理の問題よりも、著者の経験の質の問題です。

経験の質は、けっして言葉によって十分に表すことができません。想像するほかはない。想像することができなければ、二つの文章はつながってこないでしょう。

読者は読みながら、文章を通して、その背景に、うしろ側からその文章を支えている著者の経験を感じなければなりません。しかし、そういうことを感じるためには、読者自身が著者の経験とほとんど同じ種類の経験をあらかじめ持っていなければならないでしょう。ほんとうのむずかしさは、そこにあります。そのむずかしさを乗り越える道は、ただ一つ、その絵を見て、同じ種類の経験を自分のものにすることだけです。(加藤周一『読書術』amazon

先日亡くなった加藤周一(1919-2008)の本でいちばん読まれたのはおそらく『羊の歌』で、法学部の近辺でも、ときどきびっくりするような人が愛読していたりする。たしかに学部生の頃に手にする岩波新書青版としては定番中の定番であり、あたくしも一応読んで、第一印象としてはそれなりの(「なんて立派な知識人なんだ」的な)感動もおぼえた。ただ、大学院に進んだ頃にどういうわけか再読した際には、何というか、要するに「理科系にも文化系にも偏らず、東西の一流の教養を身につけた俺様は、他の多くの知識人たちとは違い、ガリ勉でも頭でっかちでもなかったし、軍国主義にもナショナリズムにもいかれなかった」というような妙な自意識の過剰さのようなものが気になって、こてんぱんに叩かれている横光利一がちょっと可哀想だなあという、ちょっとひねくれた印象を持った(ちなみに当時の愛読書は橋川文三『日本浪漫派批判序説』――当然、講談社文芸文庫版のなかった頃だから、未来社版の箱入り本!――だった)。

ただ、加藤周一を最初に読んだのは予備校時代。その予備校には「現代文は記号で読める」と豪語する有名講師がいるはずだったのに、大阪校の現代文の主任は、どっちかというと何でも気合いで読んでしまうKというせんせいで、「こういうのは、みんなで一緒に音読すればわかるんです」とか電波なことばかり言うので結局出席するのをやめることにした。ただ、そのせんせいが、「加藤周一と大岡信だけは読んでおきなさい」というようなことを言っていたので、じゃあ自分で読むかと、書店でいちばん簡単そうな加藤周一の本を探してたどり着いたのが光文社カッパブックスの『読書術――頭の回転をよくする』だった(一緒に『パンツをはいたサル』と『鉄の処女』も買ったような気がする)。いかにも曲者といった感じの加藤周一の顔写真が裏表紙に中途半端に載っていた黄色っぽい本だったと思う。現物はもう手元にはない。

ずいぶんあっさり読める本ではあったのだが(まあ口述筆記ですから)、本を読むと言うことがどういうことなのか、自分は全然わかってなかったのだということを痛感させられた。どれほど考えながら読んでもわからない文章が、何かちょっとした経験で突然わかるようになることがあるのだという発見は、ああ、歳をとるってことにもそれなりの値打ちがあるんだなというような前向きの気持ちを、当時のあたくしに与えてくれた。(他方、大岡信の『詩への架橋』とか『抽象絵画への招待』は、まさに文章を通じて、豊かな経験を与えてくれた。Kせんせいご推薦の『折々のうた』は、当時のあたくしにはなんだか渋すぎて、手が伸びませんですた。)

このカッパブックスは妙に気に入って、大学に入ってからも何度か読み返した。印象に残っているのは次の一節。

たとえば日本を理解するために、論語と仏教の経典、日本の古典文学のいくつか、また西洋を理解するために聖書とプラトンを、できるだけおそく読むことが、おそらく「急がば回れ」の理にかない、「読書百遍」の祖先の知恵を今日に生かす道にも通じるだろうと思われます。

しかし、そもそも日本を理解し、世界を理解する必要があるのでしょうか。

できるならば、それに越したことはありません。しかし私は、かならずしも、それが人生のいちばん大事なことであるかどうかは、疑わしいと思います。たとえば、論語、仏典、聖書、プラトン――いくらそれをゆっくり読んでみても、その四つをほんとうに自分のものにすることは、おそらくだれにもむずかしいのではないでしょうか。

この世の中に生きていれば、私たちのひとりひとりが考え悩むこともあり、どうしても解きたいと思う問題もあります。あるときには、その大きな問題を忘れるように努め、あるときには、それにもかかわらず、その問題につきあたりながら、なんとか暮らしつづけているのが人生でしょう。

その私たちがつきあたっている問題、考えあぐねている事柄は、人によって違います。そのことと関連して、論語はそれなりに、仏典はそれなりに、また聖書やプラトンもそれなりに、答えを与えてくれるかもしれませんし、与えてくれないかもしれません。しかし、その四つの本は、手あたりしだいにならんでいるのではなく、こちら側の問題の性質によって、四つのなかの特別な一つが、他の三つよりも、おそらく、その問題を考えるうえには役立つだろうと感じられる場合が少なくないでしょう。自分の問題がこうであり、そのことについては、この古典が役立ちそうだという予感があり、したがってそれを読む、自分の体験と照らしあわせながら、ゆっくり、たぶん繰り返して読む、という古典の読み方もあるはずです。

その場合には、その古典が日本の思想史、または世界の思想史を理解するうえに、大切であるかどうかということはどっちでもよいことになりましょう。たとえば、愛する者を失った悲しみとか、人生今後の方針について大きな岐路に立って迷っているときとか、あるいは生きていることが無意味に見えてはりあいを感じられなくなったときとか、それぞれの場合に応じて古典を読めば、それが道をひらくきっかけになるかもしれません。そういう期待をもって本を読む、これが古典の読み方のほんとうの筋かもしれません。なぜなら、およそ本を読むときには、誰でもその本のなかに自分を読むものだからです。

その結果は、一面的な考え方にかたむくかもしれません。しかし一面的でないどんな深い思想もなかったのです。たとえばキリスト自身は極端に一面的でした。おそらく孔子もそうだったでしょう。そうでなければ孔子が反政府運動の疑いで国外追放の憂き目にあい、荒野を放浪すること何年にも及ぶというような事態は起こらなかったはずです。

肌触りがよく、誰にでも便利な石けんというものはありますが、円満でだれにも便利な理想というものは、いままでにもなかったし、いまでもないし、また将来もないでしょう。それが石鹸と思想の違いです。

いま読み返してみると、どうやら当時は微妙に読み違えていたらしく、結局のところ、読みたいと思ったものでないと、読んでも身につかないし、読みたいと思うときが、おそらくは最も勉強のはかどる、読むべき時期なのだろうかというようなことをこの一節から読み取って、うん、じゃあいくら眺めても面白みを感じないものは読むのをやめて、とにかくいま読みたいと思うものがあるのだから、それを読もうというような決心をしたような記憶が。(※要するに、法律学の勉強はやめたということです。)

「机なんていらない、寝ながら読めばいい」で始まって、「人口の十万分の一にしかわからない本」の存在の指摘で終わるこの「読書術」の本は、当時ベストセラーになったらしいが、その後は見事に忘れ去られ、岩波の同時代ライブラリーとか岩波現代文庫に収録された際にも、それほど話題にはならなかったような気がする。あるいは、ひょっとすると、この本にも、『羊の歌』にあったのと同じような知識人加藤周一の歴史的個性、つまり「俺の読書法は、一昔前の大正教養主義的な読書術とこんなに違うのだ」という自意識の過剰さを読み取るべきなのかもしれない。それに、いま読み返すと、内容的にも、新しさよりも、古さの方が目立っていて、しかも、読みどころはむしろ、その古さの方にあるとすら感じられる。

しかしそれでもこの本には、何というか、予備校生のあたくしの現代文の成績が格段に伸びたということだけでなく、読書ということについて、何というか、大人にしてもらったという恩義を今でも感じている。

とはいえ、41歳になってから、この41歳の加藤周一の口述筆記を読むと、「嫌な奴だなー」というような気持ちにもなるわけですが。

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Saturday, November 08, 2008

筑紫哲也

「てつや」という名前がここ数日連呼されてますが、昨日、筑紫哲也がお亡くなりになったとか。気がつきませんでしたが、亡父と同じ歳でした。

通っていた予備校の講師にそういう話(?)が好きな方々が多かったせいか、浪人していた1985年の夏ぐらいから『朝日ジャーナル』は読んでました。「若者たちの神々」「新人類の旗手たち」は面白かったです(「元気印の女たち」はちょっと苦手だった。というか、なんだよ「元気印」って、という違和感が……。)大学では、なぜかサークルで『朝日ジャーナル』を購読していて、部室には、かなり昔のBNがありました。丁寧に読み比べたわけではないのですが、筑紫哲也が編集長をやっていた時期のものは、なんというか、明るくて、不思議な華やかさがありました。

当時の『朝日ジャーナル』は、社会評論や現代思想といった、どうしたって暗いイメージを払拭できないタイプの議論を、かみ砕いて、面白おかしく提示することに長けた雑誌だったような気がします。「脱構築」の特集なんてのも、ありました。ただ、「脱構築というのは、要するに、テクストなんてどう読んだっていいってことです」(大意)的な、かなり危うい「通俗化」にも出くわすことがあって、いくら字数の限られた週刊誌の記事でも、もう少し丁寧に書けないのだろうか……などと、えらそうな不満を抱いていた学部生は、あたくしだけではなかったと思いますです。

編集長を辞めた前後に、大学生協が講演会に呼んだことがあって、質疑応答の際に「脱構築ってのはもうちょっと重い問題だと思うんですけど、ああいう安易な取り上げ方はどうなんでしょうか」という返答の仕様のないひどく失礼な質問(あたくしは昔からちっとも変わっていない)をぶつけたところ、「うん、でもあの特集、ずいぶんたくさんのひとに読んでもらえたし、みんな「わかった」って言ってくれましたよ」と返された記憶が。(この手の講演会の後には大体関係者で集まって打ち上げがあったので、その際にでも続きを……とか考えてたところ、ご多忙につき、そそくさと東京にお戻りに。「まあ、マスコミに就職する学生なんてほとんどおらへん地方の大学やからなあ……」という気分でいっぱいになりました。)

N23が始まったのはその何ヶ月か後で、まあ、社会評論や現代思想を扱うような活字の世界で目にするのとは違い、テレビで見た筑紫哲也は「花がある」というのとちょっと違う感じでした。なんというか「ジャーナリズムの良心」的な奇妙なものを背負わされている(あるいは、本人が自分から背負っている)感じというか。滝田洋二郎監督の映画『コミック雑誌なんかいらない』で、たしか硬派のジャーナリズムの象徴として「筑紫哲也」という名前が用いられていた記憶がありますが、あんな感じでしょうか。

ある時期からあまり見なくなったN23で、印象に残っているのは、いつだったか、番組の終わりのところで、丸山眞男の『現代政治の思想と行動』について長々と話し出した回のこと(ゲストは宮崎哲弥だったような……)。「昔、これでずいぶん勉強したなあ」とか言いながら、『現代政治の思想と行動』の有名な一節を次々に引用しては「現代の日本政治にもあてはまるなー」的な詠嘆を繰り返していて、正直しんどかったというか。

わかりやすく、おもしろく、伝わりやすくするための工夫であったのかもしれないけれど、『現代政治の思想と行動』から、気の利いた文章を書き抜いて、半ば脊髄反射的に「ええなー」を繰り返すという読み方は、この本の読み方としてどうなんだろうかと。個々の論説には、個々の文脈があって、その文脈に照らしてこその丸山の洞察だと思うのですが、卓越した物書きであった丸山の文章の「花」の部分だけを切り取って愛でるという読み方は、ひょっとすると筑紫哲也の強さであり、弱さでもあったのだろうか、などとずいぶんいろんなことを考えさせられた記憶が。

とはいえ、やはり筑紫哲也は花のあるひとでありました。ほぼ同年齢の別のジャーナリストが、マッチポンプと化して、相手の話など聞かず、自分の仕事を増やすための問題提起ばかりという様を見るに、老いるとはどういうことなのだろうかと頭を抱えつつ、何となく、また何かが終わったような気分に。

オチが思いつかなかったとはいえ、われながら、ひどいまとめかたですなあ。

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Friday, August 29, 2008

spysee

http://spysee.jp/

何かと話題のスパイシーですが、プロフィール、相関図、関連画像とも、何というか。情報源は何なんだろう。つねにβ版だから、少々いい加減でも構わないということでしょうか。

いろいろ気になる点もあるのですが、本人の意向が反映されるわけではなさそうなので放置するしかないんでしょうなあ。

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Friday, February 29, 2008

熱海の海岸散歩する……

雪の日曜日、行安茂せんせいの出版記念パーティへ。1931年のお生まれなので、既に喜寿をお迎えになっているはずなのに、その矍鑠さにはただただ圧倒されるばかり。三人のゲストの方による、中国地方における倫理学研究の大きな流れとその中における行安せんせいのお仕事の位置づけについてのレクチャーの後、綱島梁川、西田幾多郎、河合栄治郎の生涯と思想についての話を枕に、これからのお仕事についての抱負をせんせいご本人が。なんとも研究者の出版記念パーティらしいアカデミックな話から始まり、スピーチも地元の教育行政関係者から、最後は飛び入りで「金色夜叉の歌」を歌う方まで(あたくしは聴いたの初めて)バラエティに富んだ不思議な会ですた。

せんせいのご健康を支えているのは、学生時代以来続けている独特の体操らしく、せんせいの下宿でこの体操を教わった方は少なくないとか(「西式」という言葉が聞こえましたが、確認はしませんでした)。握手した感じでも、確かに喜寿を過ぎた方とは思えない力強い掌ですた。

帰宅後、あまりの強烈な印象に、ついつい歌詞を調べてみたのでつが、「金色夜叉の歌」って、どいういう場面で歌う歌なんだろうか。

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Sunday, September 23, 2007

交響詩篇エウレカセブン

全50話を一ヶ月ぐらいかけて見ました。タルコフスキー版(レムの原作じゃなくって)の『惑星ソラリス』をポジティヴにした感じのお話(実際、『ソラリス』の結末なんかよりも、ずっと魅力的な結末になっていると思いまつ)。しっかり組み立てられた物語と多彩なキャラクターに魅せられ(脇役ですが、アクセル・サーストンは実に魅力的な老人ですた)、40話を過ぎる頃からは最後まで見てしまうのが惜しくなり、ちびちび見ておりました。途中で放棄しそうになりつつある『エヴァンゲリオン』よりも遙かに丁寧につくられているし、いろいろ考えさせられました。主人公の14歳の少年レントンの自意識過剰がイタ過ぎで見てられないという話もありますが、ルソーの『告白』を読み通す忍耐力があれば、あの程度のイタさはどうってことないです。

3年ほど使ってきた自宅のメインPC(ThinkPad G40)の調子が悪くなってきたので、WinXP があるうちにと、デルのノート(Inspiron 1501)を購入。 15.4TFT, Athlon(TM)64X2TK-53, RAM1GB, HDD160GB, DVDRW, XPPro で9万円台とずいぶん安かったのですが、カードスロットが Express カードスロット(使い方がよく分からない)だけというのがちょっと心配。「ニルヴァーシュ type ZERO」と命名。ついでに目への負担が大きいということで、携帯しているB5ノートを「デビルフィッシュ type B303」を呼ぶことに。

ただ、では愛用しているコンパクトフラッシュ(4GB)は「アミダドライブ」ということになるのかといえば、我が家のニルヴァーシュにはコンパクトフラッシュを挿せるスロットが搭載されてないので……。

恨むべきかな、 Express カードスロット。

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