Tuesday, March 25, 2008

「彼岸過ぎだよ、先生」

週末、出張帰りの相方と共に帰阪。彼岸明けではあるものの、久しぶりに亡母の墓参の後、実家の近所の病院の老父を見舞う。大部屋で他の患者さんと一緒にいるのが功を奏したのか、回復著しく、リハビリのための歩行訓練も欠かしていないのだとか。やや声が小さくなったものの、十五分程の面会を楽しむ余裕も。月末には退院だとか。相方の鎌倉土産(鳩サブレー)を渡し、続いて実家へ。老犬との再会。もう14歳だからよぼよぼの爺さんのはずなのに、相変わらずの童顔に小鹿のような容貌。いろいろごちそうを持ってきたというのに、まずは散歩を要求される。山寺宏一風の声で「出番だよ、先生」という幻聴が……。

弟夫婦と食事を共にしながら、今クールのテレビを回顧。『篤姫』は見てないのでパス。今週で終わってしまうが『ちりとてちん』(朝ドラ公式HP)は久々に楽しかった朝ドラ。徒然亭四兄弟(桂吉弥、青木崇高、茂山宗彦、加藤虎ノ介)もよかったが、渡瀬恒彦、松重豊、和久井映見、原沙知絵の好演が印象に。めずらしく完全版DVD-BOXが発売されるのだとか。徒然亭Tシャツとかオリジナル若狭塗箸とかを通販で買ってしまいそうな相方。あたくしもついつい新年度の最初の講義で「ようこそのお運びで。厚く御礼申し上げます」とかやってしまいそうな……。

実家が奈良が近いのと、ここ数年近鉄電車に乗る機会が多いせいか、『鹿男あをによし』(公式)も楽しく拝見。『ちりとてちん』が『若草物語』の影響下にあったのと同じく、万城目学の原作は明らかに漱石の『坊つちゃん』を意識した作りに。特撮テイストがすばらしく、第9話のラストで鹿に乗って堀田イト(多部未華子)が登場する場面などは激萌え。(理系学部の研究室というのは、あんなに簡単に就職できるのだろうか……とか設定にいろいろ疑問もありましたが……。)

当初はどうしたものかと思いながら、結局夢中になって観てしまったのは『あしたの、喜多善男』(公式)と『未来講師めぐる』(公式)。前者は松田龍平と吉高由里子、後者は黒川智花(「ずごくさおづろ」!)と、なんといっても地井武男。

あと、観れてないのですが『俗・さよなら絶望先生』(公式)はどうだったんでしょうか……。

……と早朝から神経痛で目が覚めて、鎮痛剤が効くまで気を紛らわしている訳ですが、頭がよく回りません。卒業生から高級な焼酎とか頂いているのですが、しばらく我慢しようと思ってます。まずは健康第一ということで。

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Saturday, January 05, 2008

新春@2008

次々と戻ってくる喪中はがきに悩まされる2008年新春(←アドレス帳がちゃんと管理できていない)。

年末年始は相方と共に実家周り。老父が「昨年の紅白歌合戦で秋川雅史が歌った『千の風になって』を聴きたい」というので、昔よく行った大阪のCD屋に行くと、潰れて書店になってしまっており、仕方なくCDブックの『千の風になって』(amazon)を購入して実家へ。幸か不幸か、歌っているのは秋川雅史ではなく訳者の新井満。早速実家でかけてみるが、正直ビミョー。

いつもなら八時過ぎに就寝する老父が紅白歌合戦を最後まで熱心に。週二回のデイサービスで、世代も出身地も異なる他の高齢者の方々と語り合える数少ない共通の話題なのだとか。紅白だけが音楽にじっくり触れる、ほとんど唯一の機会であるという人も少なくないのかも。過剰な演出はいつもながらうっとおしいが、地域とか世代を越えて話が通じるトピックとして、紅白ぐらいは観ておかないとまずいのかもしれない(20年ぐらい前であれば夏の甲子園とかプロ野球の「名勝負」みたいな話題――新聞のスポーツ面に連載記事とかがしょっちゅう出ていた――もそういう機能を果たしていたような……)。

血中に常にアルコールを入れたまま、2007年の娯楽についていろいろ回顧。いろいろぐぐっているうちに、鬼頭莫宏『ぼくらの』がアニメ化されていることを知る。15人の少年少女(14人が中学一年生で残る1人が小学四年生)がふとしたことで結んでしまった「契約」によって敵と戦うことを義務付けられ〈自分の生命を犠牲にして勝利するか、敗北して全人類と共に死ぬか〉の選択を迫られるという激しい設定(この年齢設定だと少年少女たちは〈ビルドゥング〉以前に死んでしまうということに)。まだIKKIの連載をとびとびで読んだ程度なのだが、妙に気になる作品。

移動の便を考え、試みに兵庫県の東西に宿をとってみる。どちらもなかなか。なんとなくTrain Cafe &Dining bar 銀座パノラマ 尼崎店に行ってみる。鉄道模型が走る巨大ジオラマを観賞できるレストラン。残念ながら夫婦共に鉄ではなかったものの、鉄な方々の情熱を少しばかり体感。正月から開いているモスとかミスドに歓喜する相方(∵コンビニすらない地に在住)。一通り正月の行事が終わると、姫路駅のジュンク堂へ。在庫が豊富で、いつ来ても何か発見がある書店(岡山の丸善、紀伊国屋、三省堂ではそういう発見がなかなか得られない)。

荷物が多かったので持ち歩いて読んだのは、駅構内の書店で買った四方田犬彦『人間を守る読書』(amazon)とオノ・ナツメ『Danza』(amazon)ぐらい。

前者はブックガイド。80年代後半の「文化系」世界(?)にはずいぶん多くのブックガイドがあったわけですが(本の選び方、読み方について若者を啓蒙しようという明確な意図は、たとえば浅田彰の『構造と力』とか『逃走論』にも感じられるわけで)、近年はたんに「こういう本があるよ」的な紹介にとどまらず、この本のように、「この本は、こう読めるんだよ」(あるいは「こういう読み方をする人がときどきいるけど、それは筋の悪い読み方だよ」)という風に実際に読み方を提示してみせる親切な本が増えてきたような。「自分がその本をどう読んだか」を記すことは、下手をすれば「自分がどのぐらいひどい誤読をしているか」を晒すことになってしまうわけで、それなりの勇気が必要(新聞の書評欄を見れば、誤読を晒すのを恐れる余り、肝心な中身に全然触れないで、ただただ上空をぐるぐる旋回しているだけの臆病な評者が書いたものと、自分なりの読み筋を検証可能なかたちで堂々と提示している勇敢な評者が書いたものの違いは明らか)。ただ、たんなる勇気ということ以上に、より優れた読み手に誤読を指摘してもらうことで、自分の読みを向上させることができるという喜びを知っているかどうかということも大きいのかも。

後者は『モーニング2』の連載をまとめたもの。秀作揃い。もっとのんびり仕事をして欲しい。

飲んだものとしては、クリスマスに某スペイン料理店で教わったキングセルビー社の大阪産「地」グラッパ『葡萄華』が美味しかったです。あたくしが飲んだのは25度で、あまり甘くないいも焼酎の「いも」を「葡萄」に替えたという感じ。カルヴァドスほど甘くはないです。

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Monday, December 03, 2007

11月某週末

法事のため帰阪。独居老人と老犬の体調はまあまあ。介護保険制度に感謝。喪中のはがきの手配のこととか。

ついでに大阪に宿をとり、相方に連れられ、遊劇体の『夜叉ヶ池』を観に心斎橋ウィングフィールドへ。発表当初、なかなか上演されることがなかったため、後世においてこの戯曲がどう演じられるかということは、それ自体、研究の対象になるのだとか。原作を読んでも何だかぴんと来なかったのですが、やはり戯曲は実際の上演を観るのがいちばんだと痛感。なんだかエウレカっぽかったです。萩原晃がレントン・サーストンで、百合はエウレカ。

折角の機会ということで周防町の辺りをぶらぶら飲み歩いた後、地下鉄で東梅田に戻り、旭屋書店地下(だったと思う)にある、懐かしのキリンケラーヤマトでビールを飲む(昔、旭屋で知人と出会うと、その日の収穫についてだべりながらよくビールを飲んだ想い出の店―― amazon なんてなかったし、梅田にジュンク堂もなかった大昔)。道中、相方に『夜叉ヶ池』についてレクチャーを受けたはずなのですが、酔っぱらってしまったので、花組芝居のやつと篠田正浩の撮ったやつがあるということと、篠田版での加藤剛のことぐらいしか記憶にありませぬ。わたなべまさこ版(マンガ)もあるそうですが、怖そうなのであたくしはパス。

勢いで、宿泊先にてDVDで『ユメ十夜』を。漱石の『夢十夜』(1908)を発表の100年後にオムニバスで映画化する試み。実は原作(非常に短い小話が集まったもの)そのものが非常にわかりづらいというか、作為的な印象が強く、どのように受け取っていいのかわからないところが多々(青空文庫版)。たとえば第六夜。運慶が仁王をあんなに巧く掘れるのは木の中にはじめから埋もれている仁王を掘り出しているからだという話を聞き、主人公(「自分」)はそれなら自分にもできるだろうと木を掘ってみるのだが、結局何も出てこず、「明治の木にはとうてい仁王は埋っていない」ということを悟る辺り。要するに、明治(というか近代)においては、かつてのように時代を超えて人々の心を掴むような芸術作品を創造することはできないという諦念とか、あるいはベンヤミン的な「アウラの消失」みたいな主題をついつい読み込んでしまいたくなるわけですが、そういう素朴な読みでいいんだろうかとか。あるいは、第一夜の「百年」「百合」、第三夜の「今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩」、第八夜の「百枚」、第九夜の「御百度」という幾つもの「百」の呼応は何なんだとか。

というようなことを考えながら見たのですが、特に松尾スズキ監督の「第六夜」(「運慶キター」!)にはぶっとびました。原作を丁寧に「解釈」するというよりも、単なるネタ扱い。

しかし、こんなに短いのに、いろんなことを考えさせる、不思議な作品だと改めて。来年のゼミはシェイクスピアの続きでつが、再来年は漱石をやりたいなあ。

帰路、某CMで気になっていた東京事変『閃光少女』のDVDを(youtubeでも観れるようでつが……)。2008年のあたくしのベスト3のうちの二曲はこの曲と大槻ケンヂと絶望少女達『人として軸がぶれている』になりそうな悪寒。何といってもこのタイトルの付け方が素晴らしい。この刹那主義から想起すべきはウォルター・ホレイショ・ペイターか、それとも小島よしおか。

帰宅後、相方と電話でだべる。次の論文で扱う某作家の某作品について、二時間近く語り続ける相方。まだ考え中のまとまらないアイデアを一方的にまくし立てるというのは、世間的に見れば迷惑以外の何ものでもないが、人文系の研究者には必要な資質だと思う。こちらとしても何とか近いうちに逆襲しなければ。

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Saturday, November 17, 2007

秋クール

毎回観れているわけではないが、相方の勧めで見始めた『ちりとてちん』が毎朝の楽しみになりつつある。NHK版『タイガー&ドラゴン』(+『少林サッカー』)という感じ。ただ、もう少し落語家を使ってもよかったのではないかという気が。肝心の落語の場面でだれてしまうというのは……。

『タイガー…』の長瀬智也は『歌姫』でもほぼ同じ芸を。舞台は昭和30年代の土佐清水で、登場人物はみな暑苦しくて、くどいが、週末の夜にビールとか飲みながら観ると何だかぐっとくる作りになっている。こういう暑苦しくて、くどい世界にも明るい未来がくればいいのになあとか思いながらも、しかしオリオン座は間違いなく2007年には閉館になるわけで、登場人物の一人一人に薄幸フラグをついつい立ててしまう。クロワッサンの松の佐藤隆太は相変わらずええ感じですが、鯖子が斉藤由貴だと気付き、ちょっと驚愕。いや斉藤由貴という人はその昔……。

『働きマン』は、松方弘子役が菅野美穂というのがどうにも。正直すぎるというか、松方の小ずるそうな顔とかできなさそうだし。

深夜枠では『モップガール』をときどき。大友将太郎役の谷原章介は当たり役だったのではないだろうか。あとは『SP』。堤真一にはもっとボケて欲しい。

今クールはちょっと多いので、『ちりとてちん』と『歌姫』ぐらいを真面目に観ようかと。

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Sunday, November 04, 2007

新世紀エヴァンゲリオン(弐)

自らに宿題として課していた『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 DEATH & REBIRTH シト新生』『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に』を今頃になってやっと観る。

正直なところ、つまんなかったです。ゼーレとネルフがドンパチ始めた辺りから「どうやって収拾つけるのだろう?」とはらはらして観てましたがヤマもオチもイミもないって感じですなあ、これ。TVシリーズのラスト二話観たときの「ああ、要するにまとまんなかったのね」という印象は変わらず。「まとまんなかったけど、努力だけはしました」的な研究報告を、ひどく暑苦しい口調で、しかも長時間にわたって聴かされたときに感じるような後味の悪さだけが残りました。ああ、あと結論部で、本論と全然関係ないスローガンのようなものが連呼される論文とか読まされたときも同じような気分になりますなあ。

そういえば、『エウレカセブン』も、ゲッコーステイトと連邦軍の総力戦が始まったところで、「どうなるんだろう」という気分になりましたが、その後の展開はお見事という感じでした。ここぞというときにどんな腕前とか芸が見れたかということでいえば、『エヴァンゲリオン』の満足度は低かったです。なんだか集中力のようなものも感じられなかったし。

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Sunday, October 07, 2007

新世紀エヴァンゲリオン

出張先のホテルで第25・26話を。挫折しかけてましたが、やっとTVシリーズを見終わったことに。

資料に取り囲まれた狭いスペースで報告原稿を書いていた時期に観ていたせいか、狭いエントリープラグで「逃げちゃダメだ」を繰り返す主人公の姿と〆切のある仕事がうまく進まないときの心理状態のシンクロ率に驚愕というか、あのリアルさは察するに庵野秀明監督自身の当時の状況を反映していたのではないかと(要調査)。あまり記憶に残ってませんが、フェリー二の『81/2』に近い印象を(映画監督が追い込まれて進んでない自分の仕事についてあることないこと口にする話……だったような)。

全然まとまらない話がどんどんまとまらない方向に行って、第25・26話で結局まとまらないまま放り出された生原稿という感じでTVシリーズは終わってしまっていて、何となく自分の報告もそうなるんじゃないかとかなり不安に。(実際、書き始めてはみたものの、結局まとまらず放置してある論文を読んだときに感じるのと非常に近い印象ですた。)

特に最終話、「学園エヴァ」は噂通りの出来でしたが、自己啓発系「クララが立った」的ラストには笑えなかったというか。

劇場版で話はなんとかまとまるという噂なので、帰ってから観よう。

世代論的メモ。庵野秀明が1960年生まれ(モヨコは1971年生まれ)、林原めぐみが1967年生まれで誕生日が……。

逃げてないで報告の最終チェックをやらないと。

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Thursday, August 02, 2007

アントニオー二、ベルイマン……

お二人とも亡くなられたようです。

・"Michelangelo Antonioni, Director, Dies at 94," NYT.
http://www.nytimes.com/2007/07/31/movies/31cnd-antonio.html?_r=2&hp=&oref=slogin&pagewanted=all&oref=slogin

・"Film Great Ingmar Bergman Dies at 89," Guardian.
http://film.guardian.co.uk/apnews/story/0,,-6815426,00.html

アントニオー二については、何だか大人の世界だなあという印象しか残ってないですが(二十歳前のあたくしには早すぎた?)、ベルイマンはよく観に行きました。『ファニーとアレクサンデル』から『不良少女モニカ』まで、芸の広い人だなとかいう感想を持ったような記憶が(そういえば、吉川晃司がデビューした頃でした……)。あと、Danse Macabre がラストに出てくるのって、『第七の封印』でしたよね?

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Sunday, July 22, 2007

アニメ版『のだめカンタービレ』

録画しておいた最終話をやっと観る(岡山は一週遅れぐらいで放送されていた模様)。一応、国内編のみで終り。きっと留学編もアニメ化されるであろう。

第一話冒頭の「記憶は美化される」を受けて、結末のところに「……時として記憶は心を縛る、しかし心は新しい出会いによって解き放たれ……」というテロップが入る。原作は雑多な自己形成物語(ビルドゥングスロマン)だが、特にアニメ版では、笑いの側面を抑え、キャラの微妙な表情を重視しつつ、心を縛る過去の記憶からひとを解き放つのは何かという主題――音楽でつながっている様々な人々との出会いが与えるものは、何といっても「自由だー」((C)犬井ヒロシ)――を中心に据えたということか。

しかし、「美化された記憶こそが、われわれを現在のつまらない日常から解放してくれる」(大意)(※)というナボコフせんせいの教えもある。というわけで、某オークションでゲットした『マーシェンカ』に癒されているわけですが……。

(※)不確かながら『記憶よ、語れ』にそんなことが出てたような……。あるいはタルコフスキーだったろうか。

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Sunday, July 01, 2007

脱ぎ捨てられたシャツの形で 食べ残されたパンの形で……

「過ぎ去ってしまってからでないと
それが何であるかわからない何か
それが何であったかわかったときには
もはや失われてしまった何か」

いや そうではない それだけではない
「それが何であるかわかっていても
みすみす過ぎ去るに任せる外はない何か」
(黒田三郎「ただ過ぎ去るために」)
今クール、相方のおすすめは『わたしたちの教科書』。眼鏡姿の菅野美穂に萌えたものの(?)、陰鬱な話がしんどくて、はじめは音声を消して観てたのだとか(←自己欺瞞)。とりあえず最終回しか観てませんが、ずいぶん頭でっかちな話だという印象を。教育とか司法って、こういう風にみられてるのかと。雨宮音也役の五十嵐隼士(歪んだ正義感で刃物をふりまわす「おとや」って……)の身振りから、なんとなく『もう誰も愛さない』での薬丸裕英の「やっちまった……」を想い出しました。

こちらはといえば、とびとびで『バンビーノ』『セクシーボイスアンドロボ』を。『バンビーノ』の方は、かなり早い段階で主演の松本潤(伴省吾役)が博多弁を覚えることを放棄してしまった辺りが× 地方でプライドと自意識ばかり過剰になってしまった若者が東京で鼻を折られながら「東京がなんぼのもんじゃー」的に足掻いているはずなのに、その主人公がふだんは標準語で話し、どうでもいいときだけに「なんちゃって博多弁」を口にするというのはどうなんだろうか(てゆーか、単なる世間知らずの若者が苦労しながら働くことの意味を学ぶ、みたいな話になってたような……)。あと、原作では相当に「母性」を排するかたちでデラシネ感たっぷりに描かれていた伴の母親(余貴美子)、恋人の恵理(吹石一恵)、うるさい常連客の野上(戸田恵子)が「いいひと」っぽくなってたのも×。ドルチェ担当の織田(織田しゃん)に「ほっしゃん」というキャスティングも×(今にも鼻からうどんが出てきそうでどきどき)。現在連載中のドルチェ編が面白いだけに、かなり興ざめ。ただ、宍戸鉄幹(市村正親)、香取望(佐藤隆太)、与那嶺(北村一輝)が放つ「あやしい」感(せきやてつじ作品の最大の魅力だと思う)がええ感じだったので、ほぼ毎週観ておりました。

ドラマ版の『セクシーボイスアンドロボ』は、ニコの家族の団らんとかが描かれているせいか、原作の根無し草感が全然感じられず、ロボの「壊れてる」感もちょっと違う方向を向いていて、黒田硫黄的ではなかったですが、割と熱中して観てしまいました。『野ブタ……』を不十分に観た視聴者の一人として「身近なところを丁寧に見渡せば、かならず何かに気がつくはず」(だから大体「身近なところ」に落ちがある)というのが木皿泉節ということになるんだろうかという印象を。最初と最後に三日坊主(中村獅童)話を置いたのは○。名梨の岡田義徳も『探偵物語』の松本刑事(山西道広)的な風合いで○。『荒地』の詩人黒田三郎の「ただ過ぎ去るために」が効果的に用いられていたわけですが、『荒地』調が全然古く感じられないのが不思議といえば。

何か話しかけないと、ひみつ日記が変な方向に向かうので、こたろうに「おーい、おやつは何がいい?」とか話しかけてみるテスト。

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Thursday, April 19, 2007

コードネームは……

とりあえず今クールは『セクシーボイス・アンド・ロボ』と『バンビ~ノ!』でしょうか。後者は佐藤隆太がええ感じですが、どういうわけか頭の中で前者の松山ケンイチとかぶったり。市村正親の宍戸鉄幹とか、ほっしゃんの織田利夫というキャスティングには期待と不安が……。

せきやてつじは『ジャンゴ』ぐらいから読んでましたが、黒田硫黄は最近になってから『セクシー…』二冊を初読。暑苦しくて濃厚な絵柄ですが、話の展開はシャープ。ラウール・クタールが撮っているようなスピード感。ドラマ版はややすっきりしすぎ。

岡山では観るのに苦労するアニメ版『のだめ』は、ドラマ版よりもお笑いが控えめで、音楽をじっくり聴かせようという感じの作り。何だか違う話のようにも感じますが、これはこれでありというか。op のSUEMITSU and THE SUEMITH ええなあと思ってアルバムを通して聴いたところ、要するに自分はベン・フォールズ感に飢えていたのだと。

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