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Monday, January 28, 2013

『30年代の危機と哲学』

これも某所のやつをサルベージ。

1999 平凡社 E. フッサール, M. ホルクハイマー, M. ハイデッガー, Edmund Husserl, Max Horkheimer, Martin Heidegger, 清水 多吉, 手川 誠士郎

30年代のドイツにおける思想史的に極めて重要な文章の翻訳を集め、解説を付したもの。ハンディでありながら、その毒は相当強い。

まず一方には、1935年5月のフッサールの講演「ヨーロッパ的人間性の危機と哲学」がある。フッサールは近代においてヨーロッパが陥った危機を、ヨーロッパ的な理性が、その本来の道を踏み外し、「外面的」な「自然主義」と「客観主義」へと堕落したことにあると論じ、そこから発生した非本来的な「合理主義」と非合理主義の対立を超えて、本来の――古き善き――合理主義に回帰することこそが、「危機」を克服する唯一の方途であることを高らかにうたいあげる。

「ヨーロッパ的人間存在の危機には、二つの出口があるだけです。つまり、本来の合理的生の意味に背いたヨーロッパの没落、精神に敵対する野蛮さへの転落か、それとも、自然主義を終局的に乗り越えんとする理性のヒロイズムを通した、哲学の精神によるヨーロッパの再生か。……もしわれわれが、「善きヨーロッパ人」として」、無限に続く闘いにも挫けぬ勇気を持ち、諸々の危機のなかでも最も重大なこの危機に立ち向かうならば、人間を絶滅させる不信という炎のなかから、西欧の人間の氏名への絶望というくすぶり続ける火のなかから、……新しい生の内面性と精神性とをもったフェニックスが、遠大な人類の未来の保証として、立ち現れてくるでしょう」(94-95頁)。

どれほどひとびとが合理主義に愛想を尽かし、非合理な野蛮さに魅せられようとも、「理性のヒロイズム」はわれわれを古き善き合理主義へと引き戻し、ヨーロッパは甦るであろう。「何故なら、精神のみが不滅なのですから」とフッサールはいう。

だが、そのようなフッサールの絶叫を踏みつぶすかのごとく、ハイデッガー総長は1933年5月の講演「ドイツ的大学の自己主張」において、アイスキュロスの言葉「技術というのは、必然のさだめに比すれば、はるかに力が弱いものだ」を次のようにパラフレーズする。

「〈知はしかし必然よりはるかに無力である。〉そのいわんとするところは、――事物についてのいずれの知も、まずは命運の強大さにゆだねられているものであって、この強大さのまえでは言葉を失ってしまうということである」(106頁)。

敢えて「理性のヒロイズム」に賭けようとするフッサールに対し、ハイデッガーは強大な「必然のさだめ」の側に身を委ねる。この両者の立ち位置をどう解すればいいのか――本書を読む者は、この厄介な問いを媒介として、「危機」論争へと召還され、当事者の一人として内省を強いられることとなろう。

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