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Friday, August 15, 2008

Katherine Dacey on Town of Evening Calm, Country of Cherry Blossoms.

英語版『夕凪の街 桜の国』(amazon)のレヴュー。この作品の魅力をくまなく語っている見事な批評だと思います。著者のキャサリン・デイシーさんから許可を頂いたので、以下、全訳を掲載。

キャサリン・デイシー「信じるに値するヴァルネラビリティ」(※)

『歴史の観念』においてR・G・コリングウッドが述べているところによれば、19世紀の歴史家たちは自らの仕事について、それ以前の歴史家たちとは異なる見方を持っていた。それ以前の世代の歴史家たちが、歴史をたんなる事実の連なりとして扱っていたのに対し、ロマン主義者たちは、自らの作品を通じて、過去を再創造することを望んだのである。コリングウッドはいう、ロマン主義者の歴史家たちは「自らが描き出す過去の様々な行為の中に共感的に自己を投入した。彼らは、自然科学者とは異なり、事実をたんなる認識の対象として扱うことはしなかった。むしろ彼らは、様々な事実について、それがあたかも自らの経験であるかの如く、想像力を働かせて、その中へと自ら飛び込んでいったのである」、と。

『夕凪の街 桜の国』を読みながら、私は『歴史の観念』のことを想起していた。というのも、この作品はコリングウッドの描き出した偉大な19世紀の歴史家たちの営為と響き合う試みにほかならなかったからである。この、こうの文代の小さな書物には、広島への原爆投下が何をもたらしたかについての相互に関連した二つの物語が収録されている。どちらにも激しい展開は一切ない。些細な日常のスケッチが、読者の想像力を、被爆者たちの抱いた恐れ、希望、悲しみへと誘っていく独特の物語である。「あとがき」においてこうのは、自らのアプローチについて、驚くべきほどにコリングウッドのそれとよく似た観点から、次のように語っている。

わたしは広島に生まれ育ちはしたけれど、被爆者でも被爆二世でもありません。被爆体験を語ってくれる親戚もありません。原爆はわたしにとって、遠い過去の悲劇で、同時に「よその家の事情」でもありました。怖いという事だけ知っていればいい昔話で、何より踏み込んではいけない領域であるとずっと思ってきた。しかし、東京に来て暮らすうち、広島と長崎以外の人は原爆の惨禍について本当に知らないのだという事にも、だんだん気付いていました。わたしと違ってかれらは、知ろうとしないのではなく、知りたくてもその機会に恵まれないだけなのでした。……〔だとすれば、これは〕遠慮している場合ではない、原爆も戦争も経験しなくとも、それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、伝えてゆかねばならない筈でした。(こうの文代『夕凪の街 桜の国』文庫版 amazon、104-105頁)
前半の「夕凪の街」では、原爆投下の十年後の広島で設計事務所に事務員として勤めている平野皆実を中心に物語が展開されている。一見したところ、広島は復興しつつあるように見えた。市内は賑やかであり、皆実の務める仕立屋も繁盛していた。たが、皆実の住む街の普請の劣悪さや、生活物資の不足など、原爆の爪痕はあちこちに残っていた。(特に印象に残るのは、一足しかない靴のかかとが減らないよう、皆実が帰路を裸足で歩く場面である。)皆実もまた、あの日以来、心の傷を抱えている。だから彼女は同僚の打越――皆実の同僚で、不器用にも野球の話をしながら彼女に求婚する――をそっけなく袖にする。皆実が病で苦しむ母の側を離れようとしなかったのは、原爆によって五人の家族がたった二人になってしまったからであった(皆実の父と姉は被爆直後に死亡し、水戸の伯母宅に疎開していた弟は広島に戻らず、そのまま養子になった)。何かと虚勢を張る皆実だが、われわれはそこに、被爆した放射能の長期にわたる影響で自分が死ぬのではないかと悩み、1945年8月6日の恐ろしい記憶に苦しめられ続けている、恐怖と〔自分は生き残ってしまったという〕自責の念でつぶれそうになっている一人の若い女性の姿を目の当たりにするのである。

後半の物語「桜の国」の舞台は、約20年後の東京で始まる。最初に登場するのは、七波というおてんばな11歳の野球少女。汚れた野球のユニフォーム、クラスメートとの会話などを通じて、母親の不在という七波の苦悩が顕わになる(七波の母親は被爆者で、癌で病死した)。おとなしい女の子に憧れていたせいか、七波は、女の子っぽさを体現したようなクラスメートの東子と仲良くなる。この奇妙な二人の、いくつかのなにげないエピソード。公園で宿題についておしゃべりしたこと、野球の試合、ひどい喘息で入院中の凪生――七波の弟――を見舞いに病院まで行ったこと。

そして17年後。引っ越しで離ればなれになってしまった七波と東子。凪生は健康を取り戻し、現在は研修医。だが七波と凪生の老父旭は、どうも最近様子がおかしい。心配になった七波は、東京で旭を尾行するが、途中で東子と偶然再会する。唐突な、しかもばつの悪い再会。七波にとって東子は、祖母を失った「桜並木の街」のつらい記憶を呼び覚ます、会いたくない旧友であった。だがそんな七波の困惑を押し切って、東子は七波に変装させ、旭老人の謎の行動の目的地とおぼしき広島へと、七波とともに出発する。七波と東子の再会の物語と並行して、七波の両親の広島での出会いの物語が語られる。七波の両親の婚約までの話が語られる中で、読者は、旭老人が「夕凪の街」と「桜の国」の結節点であることを理解する。旭こそは皆実の「生き別れた」弟、すなわち、疎開先にいたために被爆を免れ、そのまま広島に戻ることなく、疎開先の水戸の親族の養子となった弟だったのである。

こうのは、物語の劇的な展開を拒みながら、物語の時間を巧みに構成し、なにげない日常の出来事を丁寧に描いている。『夕凪の街 桜の国』が安易な感傷という陥穽を回避し得ている所以である。清らかで素朴な描線と、背景の細やかさが、広島の街に生命を吹き込んでいる。こうのが描く人物は、些か線が荒く、ぎこちない。特に大人の頭と足は、身体の割に大きすぎる。だが、こうした不自然な人物描写は、作品の美しさを減じてはいない。むしろ、影響があるとすれば、こうした描写は、作中の人物をより傷つきやすく、より不完全で、より脆い存在に――すなわち、より人間らしく、より信じるに値する存在に――している。そして、この誠実な傷つきやすさ( honest vulnerability )が描かれているからこそ、どのような時代に、どのような場所で、どのような生き方をしている読者であっても、この、いつまでも心にひっかかる、それでいて底抜けに前向きの物語に、共感的に飛び込むことができるのである。(Katherine Dacey, "Manga Review: Town of Evening Calm, Country of Cherry Blossoms," PopCultureShock, March 23rd, 2007.)

(※)Katherine Dacey, "Manga Review: Town of Evening Calm, Country of Cherry Blossoms," PopCultureShock, March 23rd, 2007.

I'd like to thank Katherine Dacey for permitting me to post this translation here without a fee. (Daisuke Odagawa, a Japanese Nerd)

NOTE: I found two trivial errors in the original text. Firstly, Minami is not "a young seamstress" but a deskwoman working for the "Ohzora Ken Ken" office (Ohzora Architectual Design Office). Secondly, it is not "Tokyo" but "Mito" (Mito City in Chiba Prefecture) where Asahi (Minami’s “lost” brother) was living with relatives when the Americans bombed Hiroshima. So I corrected them. (2008.08.20)

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