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Saturday, June 25, 2005

『歴史とは何か』を読む(1)

#カー『歴史とは何か』(原著1961、amazon / bk1)についてのメモ#

第一章「歴史家と事実」では、まず歴史家の営みを事実の編纂のみに限定しようとする事実偏重の客観主義的立場と、歴史家の解釈を偏重する主観主義的立場が対比され、両者が批判された後、カーの歴史観(「歴史とは<現在=歴史家>と<過去=事実>との間の尽きることを知らぬ対話である」)がのべられている。結論は平凡だが、客観主義批判と主観主義批判の事例が非常に興味深い。

まずは対比。

……アクトン〔1834-1902〕とサー・ジョージ・クラーク〔1890-1979〕とのこうした食い違いは、これら二つの発言の間に横たわる期間における私たちの全体的な社会観の変遷を反映しているものであります。〔事実主義者〕アクトンの方が、ヴィクトリア時代後期の積極的な信念と冷静な自信とを正直に語っているのに対して、〔解釈主義者〕サー・ジョージ・クラークの方は、ビート・ジェネレーションの当惑と取り乱した懐疑主義とを伝えているのです。「歴史とは何か」という問題に答えようとする時、私たちの答は、意識的にせよ、無意識的にせよ、私たちの時代的な位置を反映し、また、この答は、私たちが自分の生活している社会をどう見るかという更に広範な問題に対する私たちの答の一部分を形作っているのです。(3頁)
次に第一の見方、事実偏重的客観主義史観。この史観の持ち主は、歴史家が叙述の中で独自性を発揮することを嫌う。誰が書いたか分からない叙述こそが歴史の文体として最もふさわしいということのようだ。
19世紀は、大変な事実尊重の時代でありました。……1830年代、ランケは道徳主義的歴史に対して正当な講義を試み、歴史家の仕事は「ただ本当の事実を示すだけである」と申しましたが、この必ずしも深くないアフォリズムはめざましい成功を収めたものであります。約一世紀の間、ドイツ、イギリス、いや、フランスの歴史家たちさえ、「本当の事実」という魔法の言葉を呪文のように唱えながら進軍して参りました。そして、この呪文も、大部分の呪文と同じように、自分で考えるという面倒な義務から歴史家たちを免かれさせるように作られたものでありました。

科学としての歴史ということを熱心に主張する実証主義者たちは、その強大な影響力にものを言わせて、この事実崇拝を助長しました。イギリスでは、こういう歴史観は、ロックからバートランド・ラッセルに至るイギリス哲学の支配的潮流である経験論の伝統と完全に調和しました。経験論の知識論では主観と客観との完全な分離を前提いたします。感覚的印象と同様に、事実は外部から観察者にぶつかってくるもので、観察者の意識から独立なものだというのです。これを〔意識が〕受け取る過程はパッシヴなもので、つまり所与を受け取った後に、観察者がこれに働きかけるというのです。……これは、常識的歴史観と呼ぶべきものです。歴史は、確かめられた事実の集成から成るということになります。魚が魚屋の店頭で手に入るように、歴史家にとっては、事実は、文書や碑文などのうちで手に入れることができるわけです。歴史家は事実を集め、これを家に持って帰り、これを調理して、自分の好きなスタイルで食卓に出すのです。アクトンは料理については趣味が渋かったので、事実にアッサリした味をつけようとしました。第一次『ケンブリッジ近代史』の執筆者たちに指示を与えた手紙の中で、彼は次のような注文を述べたことがあります。「われわれのウォータールー戦史は、フランス人やイギリス人、ドイツ人やオランダ人を同様に満足させるようなものでなければならぬこと、執筆者リストを調べない限り、オックスフォードの監督がどこで書き終わったか、書き継いだのはフェアベンかガスクェットか、リーバーマンかハリソンかが誰にも判らないものであること。」アクトンの態度には批判的であるサー・ジョージ・クラークすら、歴史における「事実という堅い芯」と「それを包む疑わしい解釈という果肉」とを自分で対照させているのですが、きっと、果物は果肉の部分の方が堅い芯よりも有り難いものだということを忘れているのでしょう。先ず、汝の事実を確実に手に入れよ、次に、無二無三、解釈という流れ動く砂漠に突進せよ――これが歴史における経験的な常識的な学派の最後の言葉であります。(4-6頁)

次に主観説の整理。コリングウッド史観のおさらいと批判。
過去50年間、「歴史とは何か」という問題については多くの真剣な研究が行われてまいりました。1880年代および1890年代、歴史における事実の優位性と自律性という学説に対して行われた最初の挑戦は、ドイツから、すなわち、19世紀のリベラリズムの安穏な支配を覆すために奮闘せねばならなかった国から始まりました。

この挑戦を行なった哲学者たちは今では殆ど名前だけしか知られておらず、この人々のうち、ディルタイだけが、最近のイギリスでようやく認められるようになったのです。20世紀に至るまでのイギリスでは繁栄と自信とがなお大きかったため、事実崇拝に一撃を加えた異教徒はあまり注意を惹くに至りませんでした。ところが、20世紀の初め、炬火はイタリアへ移り、クローチェが一つの歴史哲学――これは明らかにドイツの先生たちに負うところが大きいのですが――を提議し始めました。すべての歴史は「現代史」である、とクローチェは宣言いたしました。その意味するところは、もともと、歴史というのは現在の眼を通して、現在の問題に照らして過去を見るところに成り立つものであり、歴史家の主たる仕事は記録することではなく、評価することである、歴史家が評価しないとしたら、どうして彼は何が記録に値するかを知りうるのか、というのです。

1910年、アメリカの歴史家カール・ベッカーは、わざと刺激的な言葉を用いて次のように申しました。「歴史上の事実というものは、歴史家がこれを創造するまでは、どの歴史家にとっても存在するものではない。」こうした挑戦は当座は殆ど顧みられませんでした。クローチェの主張がフランスやイギリスで大流行になり始めましたのは、ようやく1920年以後のことであります。思うに、これは、クローチェがドイツの先輩たちよりもより繊細な思想家、優れた文章家であったためではなくて、第一次世界大戦後の諸事実そのものが1914年以前のように私たちに温かく微笑みかけてくれないように見えたためで、それゆえに、私たちは、事実というものの権威を減らそうとする哲学に以前より親しみを感じることになったのでありましょう。

クローチェは、ずっとオックスフォードの哲学者であり歴史家であるコリングウッドに大きな影響を与えました。コリングウッドは、歴史哲学に重大な貢献をいたしました20世紀唯一のイギリスの思想家であります。彼は、みずから計画した体系的著作を書き上げるほど長命ではありませんでした。しかし、彼の死後、このテーマを論じた既発表および未発表の原稿は、1945年出版の『歴史の観念』と題する一冊の書物に集められております。

コリングウッドの見解は次のように要約することができます。歴史哲学は「過去そのもの」を取り扱うものでもなければ、「過去そのものに関する歴史家の思想」を取り扱うものでもなく、「相互関係における両者」を取り扱うものである。(この言葉は、現に行なわれている「歴史」という言葉の二つの意味――歴史家の行なう研究と、歴史家が研究する過去の幾つかの出来事――を反映しているものです。)「ある歴史家が研究する過去は死んだ過去ではなくて、何らかの意味でなお現在に生きているところの過去である。」しかし、過去は、歴史家がその背後に横たわる思想を理解することが出来るまでは、歴史家にとっては死んだもの、つまり意味のないものです。ですから、「すべての歴史は思想の歴史である」ということになり、「歴史というのは、歴史家がその歴史を研究しているところの思想が歴史家の心のうちに再現したものである」ということになるのです。歴史家の心のうちにおける過去の再構成は経験的な証拠を頼りとして行なわれます。しかし、この再構成自体は経験的過程ではありませんし、事実の単なる列挙で済むものでもありません。むしろ、再構成の過程が事実の選択と解釈とを支配するのです。すなわち、まさにこれこそが事実を歴史的事実たらしめるものなのです。

この点でコリングウッドに近いオークショット教授が申しますには、「歴史とは歴史家の経験である。これは歴史家だけが『作った』もので、歴史を書くのは、歴史を作る唯一の方法である。(24-27頁)

この鋭い〔事実崇拝史観〕批判は、重要な問題が少し残りはいたしますけれども、いくつかの忘れられた真理を明らかにいたしております。

第一に、歴史上の事実は純粋な形式で存在するものでなく、また、存在し得ないものでありますから、決して「純粋」に私たちへ現れてくるものではないということ、つまり、いつも記録者の心を通して屈折して来るものだということです。したがって、私たちが歴史の書物を読みます場合、私たちの最初の関心事は、この書物が含んでいる事実ではなく、この書物を書いた歴史家であるべきであります。……(27頁)

コリングウッドの主張の第二点は、もっと判り易いことで、歴史家は、自分が研究している人々の心を、この人々の行為の背後にある思想を想像的に理解する必要がある、ということであります。……この十年間に英語使用諸国が生んだソヴィエト連邦関係の文献の大部分、また、ソヴィエト連邦が生んだ英語使用諸国関係の文献の大部分が無価値なのは、相手方の心の動きを想像的に理解するということのイロハにも達し得ず、その結果、相手方の言葉や行動がいつでも悪意に満ちた、非常識な、偽善的なものに見えるようになっているからです。歴史家が、自分の書いている人々の心と何らかの触れあいができなかったら、歴史は書くことができないものであります。(30-31頁)
第三の点は、現在の眼を通してでなければ、私たちは過去を眺めることもできず、過去の理解に成功することもできない、ということであります。歴史家は彼自身の時代の人間なのであって、人間存在というものの条件によってその時代に縛り付けられているのです。(31頁――ピーター・ウィンチとの類似?)
コリングウッド史観批判。
さて、以上、コリングウッド史観とでもいうべきものの若干の見方を述べて参りましたが、今度は、そこに見られる若干の危険を考察する番であります。歴史記述における歴史家の役割の強調ということも、これを論理的帰結まで推し進めますと、そもそも、すべての客観的歴史を排除することになり、歴史は歴史家が作るものだということになってしまいます。たしかに、一時、コリングウッドは、ある未発表のノート――彼の著作の編纂者が引用しているので知ったのですが――でこういう帰結に到達したことがあるようです。「聖アウグスティヌスは初代キリスト教徒という見地から歴史を眺め、ティユモンは17世紀のフランスという見地から、ギボンは18世紀のイギリス人という見地から、モムゼンは19世紀のドイツ人という見地から歴史を眺めた。どれが正しい見地かということが問題なのではない。どの見地も、それを採用した当人にとっては唯一可能の見地であった。」

結局、これでは完全な懐疑主義〔つまりは価値相対主義――引用者〕に陥ることになり、フルードの言葉の通り、歴史は「子供のイロハ並べと同じで、何でも好きな言葉を綴ればよい」ということになってしまうでしょう。コリングウッドは〔事実のみを尊重し一切の解釈を排そうとする〕「糊と鋏の歴史」に反対し、歴史は単なる事実の編纂であるという歴史観に反対する余り、今度は、歴史を人間の脳髄の編み出したものと考える危ない淵に近づき、「客観的」な歴史的真理は存在しないという結論――これは、私が前に引用した文章の中でサー・ジョージ・クラークが暗示しているのですが――へ逆戻りしていくのです。歴史には〔事実のみがあるのであって〕意味はないという理論の代わりに、無限の意味があるという理論が与えられ、どの意味が正しいということもなく、結局はどれも同じようなものだということになってしまいました。しかし、どう考えても、第二の理論〔主観主義〕も第一の理論〔客観主義〕と同様に支持し難いものです。見る角度が違うと山の形が違って見えるからといって、もともと、山は客観的に形のないものであるとか、無限の形があるものであるとかいうことにはなりません。歴史上の事実を決定する際に必然的に解釈が働くからといって、また、現存のどの解釈も完全に客観的ではないからといって、どの解釈にも甲乙がないとか、歴史上の事実はそもそも客観的解釈の手に負えるものではないとかいうことにはなりません。(33-35頁)

結論。
このように、歴史家と歴史上の事実との関係を吟味して参りますと、私たちは二つの難所の間を危うく航行するという全く不安定な状態にあることが判ります。すなわち、歴史を事実の客観的編纂と考え、解釈に対する事実の無条件的優越性を説く支持し難い理論の難所〔19世紀的な事実崇拝=客観主義〕と、歴史とは、歴史上の事実を明らかにし、これを解釈の過程を通して征服する歴史家の心の主観的産物であると考える、これまた支持し難い理論の難所〔歴史家の解釈の主観性を強調する懐疑主義=主観主義〕との間、つまり、歴史の重心は過去にあるという見方と、歴史の重心は現在にあるという見方との間であります。しかし、私たちの状況は、外見ほど不安定なものでもありません。……歴史家と事実との関係は平等な関係、ギヴ・アンド・テークの関係であります。実際の歴史家が考えたり書いたりする時の自分自身の仕事ぶりを少し反省してみれば判ることですが、歴史家というのは、自分の解釈にしたがって自分の事実を作り上げ、自分の事実にしたがって自分の解釈を作り上げるという不断の過程に巻き込まれているものです。一方を他方の上に置くというのは不可能な話です。

歴史家は事実の仮の選択と仮の解釈――この解釈に基づいて、この歴史家にしろ、他の歴史家にしろ、選択を行なっているわけですが――で出発するものであります。仕事が進むにしたがって、解釈の方も、事実の選択や整理の方も、両者の相互作用を通じて微妙な半ば無意識的な変化を蒙るようになります。そして、歴史家は現在の一部であり、事実は過去に属しているのですから、この相互作用はまた現在と過去との相互関係を含んでおります。歴史家と歴史上の事実とはお互いに必要なものであります。事実を持たぬ歴史家は根もありませんし、実も結びません。歴史家のいない事実は、生命もなく、意味もありません。そこで「歴史とは何か」に対する私の最初のお答えを申し上げることにいたしましょう。歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。(38-40頁)

何というか、カーがどういう文脈で、どういう論者を意識しつつ、講義を行なったかが、やっと少しはわかるようになったのがちょっと嬉しい。つまり、彼もまたある種の「マジノ線メンタリティ」やヴィト系保守主義と闘っていたのだな。

これでテイラー、マッキンタイアとカーが繋がったなどと頷く漏れはやはり電波系か?

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