犬塚元さんから「震災後の政治学的・政治理論的課題 「不確実・不均衡なリスク」のなかの意思決定・連帯・共存の技法」 amzn.to/VroKzX bit.ly/TERsOV を頂きました。ありがとうございます。(稲葉馨・高田敏文編『今を生きる 東日本大震災から明日へ!復興と再生への提言〈3〉法と経済』所収)
「震災と原発事故」以後の「政治学的・政治理論的課題」を(一)「意思決定」(だれがきめるのか:民主政治における専門家と市民)、(二)「連帯」(なぜ、どこまで連帯するか:「リスク負担の不均衡」のなかの公的支援)、(三)「共存の技法」(分極化した対立をどうするか)という三つに整理。
(一)に関しては、原発事故の後に改めて問われることになった「民主政治の意思決定において専門知や科学の果たすべき役割とはなにか」「専門家の民主的統制は必要か・可能か」という「原理的な問い」が検討されています。ポイントは「専門知の民主化」と「民主制の専門化」をどう接合するか。
「専門知の民主化」というのは専門家・官僚の側の課題、「民主制の専門化」というのは一般市民の側の課題。ただ、後者をあまり強調すると、「原発問題について不勉強な奴は、この問題について発言するな」という理屈になりそうなので、おそらく前者の課題の方が重要なのかなと個人的には考えております。
あと紙幅のためか、震災復興政策についての意思決定の問題は省かれているようです。あと「だれがどのように決めるのか」という問題については、「専門知・科学」と「民意」という区分のほかに、「中央」と「地方」と「地域」という区分もあるのでしょうね。複数の次元でのデモクラシーの対立。エネルギー政策や震災復興政策の決定において、中央のデモクラシーと地方のデモクラシーが対立した場合、どう考えたらいいのか。
(二)では「苦境に陥った地域や個人に対して、「われわれ」は政治共同体としてどう対応すべきか」「震災と原発事故ののち、退去命令、高台移転、土地買い上げ、食品流通規制、除染などをめぐって「国が実施すべき」という言説が溢れたが、どのような原理がそうした国の活動を正当化するのか」問題が。
もちろん重要なのは「連帯や相互扶助をめぐる言説」が主に「思いやり」や「絆」といった精神主義的な道徳の言説に依拠して展開されたことについての批判的な検討。
(三)では(政治における「対立」の重要性を認めつつも)震災以後、政治対立が「分極化」し、「すべてが「味方か敵か」という単純な対立構図の中に整理されてしま」い、「複雑な事象が不適切に単純化されたり、多様な争点や対立軸が隠蔽されたりする」危険性について検討がなされています。
この政治対立をどう「穏健化・相対化」するか。第一の希望は「熟議デモクラシー」論に代表される「民主政治のバージョンアップ」。第二の可能性は「対立する主張をいずれにも与さずに冷徹に吟味してそれらの限界を定めるヒューム=クリティーク型の知性の営み」による政治対立の吟味と穏和化。
場合によっては「ヒューム=クリティーク型の知性の営み」こそが政治対立を分極化する可能性もあるだろうし、批判的に言及されている「特定の主張や政策を根拠・権威づけるプラトン=オーソライズ型の学問」の方が分極化を抑制し、合意をもたらすこともあるんじゃないかと思わなくもないですが…。
いずれにしても「震災と原発事故」以後の「政治学的・政治理論的課題」についていまのところこれ以上的確な整理はないと思うので、是非とも入手しておいた方がいいでしょう。>「震災後の政治学的・政治理論的課題」
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